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	<title>日本教育学院のホームページ &#187; 私が子供だった頃</title>
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	<description>にっきょうで勉強しよう！</description>
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		<title>私が子供だった頃…その４</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Feb 2010 12:59:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>にっきょう</dc:creator>
				<category><![CDATA[教室]]></category>
		<category><![CDATA[武蔵関]]></category>
		<category><![CDATA[武蔵関教室]]></category>
		<category><![CDATA[私が子供だった頃]]></category>

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		<description><![CDATA[「いじめられっ子、柔道に出会う－その後」 佐藤（英語科） 小学時代いじめられっ子だった僕が柔道に出会ってから立場が逆転したということは以前この場で書いた。僕はその柔道を高校まで続けたが、中学時代にスポット当てて今回は書い [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 20px;"><span style="color: #ff0033;">「いじめられっ子、柔道に出会う－その後」</span></span><br />
<span style="font-size: 20px;"><span style="color: #000099;">佐藤（英語科）</span></span></p>
<p>小学時代いじめられっ子だった僕が柔道に出会ってから立場が逆転したということは以前この場で書いた。僕はその柔道を高校まで続けたが、中学時代にスポット当てて今回は書いてみようと思う。</p>
<p>僕の入学した中学校には柔道部がなかった。だから中学一年の春、僕が選んだ部活動は吹奏楽部だった。音楽が好きだった僕にはぴったりの部活だと思ったのと、小学校5年生の頃から好きだったウエノユキコちゃんが吹奏楽部に入ったからだ。しかし、入部初日から当てが外れてしまった。</p>
<p>部活の顧問はサトウチエ先生という小柄な二十代半ばの人で東北出身の気の強そうな女性であったが、彼女が新入部員の担当楽器を決めていくのだった。僕の希望はサックスかフルートだった。小学時代からジャズが好きな、知らない大人から見ると「いけ好(す)かない子供」であった僕のあこがれはナベサダことアルトサックス奏者の渡辺貞夫だった。だから僕も吹奏楽部でアルトサックスをかっこよく吹きたい希望に胸をふくらませていた。でも、サトウチエ先生のこの一言で僕のナベサダへの夢は崩れ去ってしまう。<br />
「佐藤君は体が大きいからチューバをやんなさい」<br />
「えっ？」</p>
<p>その日僕はチューバのパートリーダーであるホシナ先輩からチューバのマウスピースをもらい、こう言われる。<br />
「おまえら、ドとソとドの音が出るまでは楽器をもてるとは思うなよ。まぁ、一週間はかかると思うけどな。フヘッヘッヘ」　やなヤツ。</p>
<p>僕ら－チューバには僕のほかにナカムラフミタカ君がいた－は音楽室の外の廊下に出て椅子に座って、ひたすらドとソとドの音をマウスピースで吹けるように練習した。けど、僕らはその日一日でドとソとドが吹けるようになってしまったのだ。面目丸つぶれのホシナ先輩は顔を真っ赤にして、翌日から僕らに意地悪をし始めた。それがとてもいやなやり方だったので僕は彼をぶっ飛ばして一週間で吹奏楽部を辞めてしまった。</p>
<p>部活動をやめて帰宅部になった僕の中一時代は散々なものだった。担任の先生はツジアサシロウという数学を教えるまったく冗談の通じない堅物(かたぶつ)で、そんな彼は僕を散々(さんざん)目(め)の敵(かたき)にした。なぜかはわからないけど目の敵にされてしまったのだ。花火をしていたら翌日ばれて職員室でガツン。初夏の日夕方7時くらいまで港で釣りをしていたら「外出時間を守らんか」とガツン。女子に嫌がらせをしているキクチユキトをぶっ飛ばしたら「なぜぶっ飛ばすんだ」と僕だけガツン。学校一の悪(わる)ナカジマユタカが持ってきてはいけない本を僕にたまたま見せようと渡したところに運悪くサトウチエ先生が通りかかり、アサシロウに伝え、校内放送で「サトウ！すぐ職員室にこーい！」と呼び出され「お前が持ってきたんだろう！」とガツンガツンガツン。散々だった。</p>
<p>でも、中学二年に進級するときクラス替えがあり、担任の先生もエノキケンゾウ先生に代わり、暗黒のアサシロウ先生からは解放された。けど、元々僕らの中でケンゾウ先生の評判はすこぶる悪くめちゃくちゃ怖い先生だという噂(うわさ)があった。けどそんな噂はまったくの嘘っぱちでケンゾウ先生は最高にいい先生だった。そして運良く小学時代から同じ道場に通っていた連中がみんな同じクラスになってしまったのだから僕らは盛り上がった。「な、柔道部を作らないか」「おぉ、いいね、それ」「でも、顧問(こもん)の先生がいねぇだろうが」「ケンゾウ先生に頼んでみないか?」</p>
<p>僕たちは職員室まで直談判(じかだんぱん)に行った。ケンゾウ先生はしばらく考えて「わかった」と言ってくれた。「けど、俺は練習は見にいかねぇよ。こんなやせぽっちな俺がおまえらと柔道やったら骨が何本あっても足りやしねぇよ」僕らはそれでもよかった。顧問の先生さえいてくれれば地区大会や全道大会への道が開くのだ。時は五月。地区大会まであと一ヶ月の頃だったと思う。</p>
<p>新しくできた我らが柔道部は学校内の他の部活動からはすこぶる評判が悪かった。特に男子部活動の花形(はながた)の野球部と女子の花形のバレーボール部の連中からは「柔道部、クサいからあっちいけ」とか「あ、ゾウキンダンス部じゃないか」とかバカにされた。けど、僕らの腰には全員黒帯が巻かれていたのだ。いくら野球部が女子にもてようがおいそれとは僕たちに手出しはできないのである。</p>
<p>そんな僕らは地区大会に出て見事優勝した。個人戦ではナカジマユタカ君が優勝をかっさらい、僕らは中学校に戻り月曜日の全校朝会で壇上(だんじょう)に上がり校長先生からお褒(ほ)めの言葉をいただいた。僕らを「クサイ、きたない」と馬鹿にしていた野球部とバレー部は一回戦負けだった。ざまーみろ！</p>
<p>夏休みに入り、僕らは全道大会に出場したが、結果は一回戦負けだった。ナカジマ君も一回戦負け。僕の対戦相手は190センチ160キロ、中学卒業後は相撲(すもう)部屋(べや)にスカウトされているという巨漢(きょかん)だった。ここで僕が姿(すがた)三四郎(さんしろう)（古いか）よろしく背負い投げでぶん投げたとなればかっこがいいのだが、世の中そうはうまくいかないのである。押しつぶされ160キロに押さえ込まれ、あふれんばかりのお腹の肉を顔に押しつけられ、一本負けをしたのである。（死ぬかと思った）</p>
<p>僕らは全道大会で一回戦負けをしたけど、気持ちはとてもすがすがしかった。楽しいケンゾウ先生や道場の仲間と地区大会や全道大会へ泊まりがけで参加できたし、僕たちの後輩がその姿を見ていてくれた。うれしいかな、僕らが道場で稽古(けいこ)の相手をしていた小学下級生のチビたちが中学高校とメキメキ力をつけ最終的には全国大会まで行けたのである。</p>
<p>今でも実家に帰ると中年面(ちゅうねんづら)になった当時の後輩たちと街でばったりあったりする。顔は中年のオヤジだけれど、優しい目はあの当時のままだ。そんなとき僕は古里(ふるさと)のあたたかさを実感する。</p>
<hr />
<br />
<span style="font-size: 20px;"><span style="color: #ff0033;">「あぐおくんのこと」</span></span><br />
<span style="font-size: 20px;"><span style="color: #99cc00;">水野（英語科）</span></span><span style="color: #99cc00;"><br />
</span></p>
<p>　僕が子どもの頃、近くに「あぐおくん」という脳性まひの人が暮らしていた。当時20歳代だっただろうか、もうヒゲの生えたおとなだが、立つこともできず、もうおばあさんと言っていいくらいの年齢の母親が引く大きなリヤカーに乗せられて移動していた。野良仕事をする母親を、リヤカーの上から眺めて一日を過ごすのである。そして私たち子どもが通りかかるのを見ると、よだれの垂れたロからしぼり出すように「おう－い」と呼ぶのだった。思うようにならない腕を、舞うように揺すりながら。子どもたちは、あぐおくんを避けるようにして通り過ぎた。</p>
<p>　ある日、弟が外から帰ってきて言った。 「さっきなあ、お宮さん(神社の境内のこと)で缶蹴りしとったら、あぐおくんとお母さんが来て…」弟の話によると、あぐおくんのお母さんは、 「みんな集まっとくれ～」と弟たちを呼び集めると、こう言ったそうだ。 「今日は、あぐおの誕生日だで、赤飯炊いただ。みんなで祝ってやってくれえ。」そして、おそるおそる差し出された子どもたちの手のひらに、じかに赤飯を盛って配ったという。 「気持ちわるうて、食えなんだわあ。」と、弟は報告した。それを聞いて僕は、「そこにおらなんで良かった。そんな、あぐおくんのよだれがついてそうな赤飯、もらっても困るし…」と、言った。はっきり言うと、僕も彼を「気持ち悪い」と思っている子どものうちのひとり、だった。</p>
<p>　話はこれだけだが、あれから30年もたった今も、あぐおくんと、そのお母さんのことがなぜか思い出されてならない。父親は、家出したとかで、いなかった。母一人子一人の暮らし、重い障害を抱えた息子の誕生日なんて、他の誰も祝ってはくれなかっただろう。けれどもお母さんにとってはうれしい日だったに違いない。だからいっぱい赤飯を炊いた。あぐおくんのロからそれはポロポロこぼれただろう。誰とも分かち合えない喜びの日。そうだ、お宮さんにお参りするついでに、チビらに祝ってもらおうか…。<br />
　<br />
　最近田舎に帰ったとき、母に聞いた。「あぐおくんのお母さんは、どうなった?」「もう亡くなった。」 「あぐおくんは?」 「施設に引き取られたよ。」</p>
<p>　「身障」などといって人をバカにしたりする子どもたち。大人たちだって、他人事ならばどう思っているかわかったものではない。障害を背負わされたのが、自分でなくてよかった。自分の子でなくてよかった。自分もその当時は、そんな一人だった。偉そうなことは言いたくない。だが思い返すと、あぐおくんのお母さんは、いつもにこにこと笑っていた。確かに彼女は幸せだったのだ。幾つになっても手がかかる、かわいい息子の、誕生日。</p>
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		<title>私が子供だった頃…その３</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Feb 2010 12:37:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>にっきょう</dc:creator>
				<category><![CDATA[教室]]></category>
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		<category><![CDATA[武蔵関教室]]></category>
		<category><![CDATA[私が子供だった頃]]></category>

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		<description><![CDATA[「あの頃は」 奥村（算数・数学科） 　この原稿の依頼を受けて、改めて私も小学生の頃があったのだと気づかされた。随分遠い昔のことなので何かを思い出せるのだろうかと不安ではあったが、実際自分が小学生だった頃に思いを馳せると、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #ff3300; font-size: 20px;">「あの頃は」</span><br />
<span style="color: #993366; font-size: 20px;">奥村（算数・数学科）</span><br />
<br />
　この原稿の依頼を受けて、改めて私も小学生の頃があったのだと気づかされた。随分遠い昔のことなので何かを思い出せるのだろうかと不安ではあったが、実際自分が小学生だった頃に思いを馳せると、去年の出来事よりもむしろ鮮明に思い出せることにびっくりした。<br />
　<br />
　長野県の南のはずれの人口６～７万人の小さな市で育った私にとって、小学生時代の思い出は自然との触れあいだったと言えるだろう。小学生時代屋外で遊ぶことが多かった私にとって、季節の変化はにおいで感じるものだったという実感がある。例えば、早春の土の香り、夏の夕立直後のアスファルトのにおい、秋の枯れ葉のにおい、そして冬の夜に降り続く雪の湿った香りなどは今でも無性に懐かしく感じられる。</p>
<p>　私の小学生時代は小学校は楽しい所、学校の先生や親はこわい人、遊び場所を取り囲む自然はやさしい物とひどく単純なものであったように思う。毎日のように学校の先生に叱られ、廊下に立たされても、毎学期通知票に「落ちつきがない」「根気がない」と書かれても、何のストレスもなく、季節の空気のにおいをかぎ、雲の流れるのも見ていた頃は幸福であったと思う。</p>
<p>　こんな私の小学生時代を思い出すと現在の小学生のことを考えずにはいられない。携帯電話、テレビゲームなど私の頃と比べて文明は数段進歩しているが、その反面子供たちにはどれほどのストレスがかかっているのだろうと想像すると少し悲しくさえ思える。すべての小学生が大人になり、遠い昔の小学生だった頃を思い出した時、「幸福だったよね」と思えるような日常を、現在大人になった私が彼らに提供できたらいいなと思いながら自分の昔を思い出していた。<br />
</p>
<hr />
<br />
<span style="font-size: 20px; color: #ff3300;">「My Days」</span><br />
<span style="color: #993366; font-size: 20px;">水野（英語科）</span><br />
<br />
　私の育った京都府では、公立高校間の格差が全くなく、一定以上のレベルの生徒がみんな地域の同じ高校へ進学できる仕組みになっていた。だから受験などないに等しく、中学3年間のあいだはずっと同じクラスで、若く元気な女の担任はひたすら「仲間づくり」に燃えていた。スポーツで活躍する生徒はもてはやされるが、勉強の得意な生徒は目立たなかった。当然後者だった私は、しかし、クラスの「学習委員長」として他の生徒に勉強を教えるという役割を任され、担任からはもちろん、スポーツの得意なクラスのリーダ-格からも一目置かれていた。その辺の中学教師などよりは知識もあったから、教師の間違いを指摘してやりこめることも多かった。<br />
　<br />
　塾なんて影すらない田舎で、それでも私は幼い項から「自分は大学まで行かなければダメだ」という思い込みがあったので、一人で勉強していた。と言っても「努力」はニガテで、気が向けば何時間でも机に向かうが、向かなければ何日も放ったらかすという、かなり気ままなやり方。それでも、中１の頃に方程式の文章題が問題集の解説を見ても分からずいらいらして泣きながら勉強していたことや、 do/doesの区別を何度も繰り返しながらクリアーして行ったこと、また試験前には、社会の教科書をこたつに入って全文暗唱していたこと、などが思い出される。よくやったな、自分。<br />
　中3の6月に、初めて府内全域にまたがる実力テストが実施されて、採点すると5科目250点中、 240点取れていた。校内2位が166点だったから、偏差値は83あった。「京都府を制覇したミーノくん」という伝説が一夜にしてうち立てられた。このときの快感は忘れられない。<br />
　<br />
　かと言って、ガリ勉亡者みたいなのを想像しないでほしい。クラスでは、今で言ういじられキャラで、でも試験前になると「明日4時にうち来て勉強教えて」「俺は6時ね」という具合に引っ張りだこだったし、クラス委員の常連として活躍もしていたのだからね。合唱祭では、課題曲の他に自分たちで作詞作曲した歌をうたったり、体育祭で応援団のバックに掲げる「アーチ」という巨大な絵を作成したり、思い出は尽きない。</p>
<p>　しかしそうした生活のなかでも私は、大学、それも(うちにはお金がないので)国立大学へ行かなければ、という自分の目標は常に念頭に置いていた。<br />
　<br />
　そのための勉強をすべて一人でおこなっていたことは、我ながらいじらしいと思うと同時に、この塾のみなさんがうらやましいと心から思う。<br />
</p>
<hr />
<br />
<span style="font-size: 20px; color: #ff3300;">「僕の中学時代」</span></p>
<p><span style="color: #993366; font-size: 20px;">中田（国語科）</span></p>
<p>　中学のときに一番感動したことは「英語」だった。よくあるように中１でつまずき、中２でわけが分からなくなり、「オレは日本人だ」と開き直るほどに英語は一番遠ざけていた教科だった。そもそもが勉強に対して熱心ではなかったし、ちょっとやればいつだって出来るようになるさって、何を根拠に考えていたのかもわからない妙な自信があった。そのミエでしかない「自信」がことごとく崩壊したのが中３の７月のことだった。</p>
<p>　一学期の内申が出て、１時間にわたる担任の家庭訪問があって、ついに親は爆発！　あのクソ暑い自分の部屋で１００分にわたって説教された。「自分のやっていることは全部自分にかえってくる。中途半端にやるんだったら、そんなもんやめてしまえ！」</p>
<p>　さすがにショックを受けた。初めての悔し涙だった。それはその通りだった。勉強だけでなく部活においても中途半端だったからだ。中２前半までのサッカー部、次は野球部。いずれも中途半端なかたちでしかやりきれていない。<br />
７月２０日。夏休みが始まった。そこからの１ヶ月、ノルマを決めて午前中・午後少し・そして夜と５教科を差別なく総復習した。塾なんてない山奥のど田舎だったから、すべて自力でやっていくしかなかった。目指すは８月２０日の東海テスト（東京でいえばＶ模擬のようなもの）。そう決めてからは無心だったと思う。</p>
<p>　とにかく基本を押さえていくことに専念した。基本の大事さはサッカーや野球の練習でもわかっていたから。だからえらそうに難問に挑戦だなんてこれっぽっちも思わなかった。あの西日の差す暑い部屋で大好きなロックも流さずに勉強ばかりしていた。しばらくすると、それが当たり前のような生活になり、「わかる」ということの楽しさも感じ始めていた。わかるってけっこう感動することなんだなって思った。<br />
　<br />
　迎えた８月２０日の登校日。テストの最中のことはもう覚えていないが、受け終わったときは晴れ晴れしていた。２週間後、結果が渡されたが、そのときが一番感動したんだろうな。もっとも苦手だった英語が、一番よかったのだ。そうなるともう調子づいて、そこからの半年は勉強が楽しかった。英語が楽しかった。関係代名詞ってすごいなぁって思った。理屈がわかるとこんなにもすんなりと頭の中に入ってくるのだからびっくりした。</p>
<p>　ということで、親の一言が自分を変えた……だなんて意地でも思いたくないが、自分の中の「何か」を引き出してくれたのは、あの夏のあの一言だったんだと思う。中３の夏、この経験は自分の財産なんだと思う。</p>
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		<title>私が子供だった頃…その２</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Feb 2010 12:23:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>にっきょう</dc:creator>
				<category><![CDATA[教室]]></category>
		<category><![CDATA[武蔵関]]></category>
		<category><![CDATA[武蔵関教室]]></category>
		<category><![CDATA[私が子供だった頃]]></category>

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		<description><![CDATA[「わが昭和４３年、君は不二家のペコちゃんを知っているか」 山口（英語科） その日、トオル少年は朝からひとつの期待に胸をふくらませていた。日曜日だったが、パパは朝から仕事に出かけていた。出がけにパパがママに「帰りは９時頃に [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #ff3300; font-size: 20px;">「わが昭和４３年、君は不二家のペコちゃんを知っているか」</span><br />
<span style="color: #993366; font-size: 20px;">山口（英語科）</span><br />
<br />
その日、トオル少年は朝からひとつの期待に胸をふくらませていた。日曜日だったが、パパは朝から仕事に出かけていた。出がけにパパがママに「帰りは９時頃になる」と言うのをトオルはたしかに聞いた。今夜はウルトラセブンが見られる。そう思うと夜が待ち遠しくてならなかった。先週も先々週も、チャンネルはパパに奪われてしまって、ウルトラセブンを見そこなった。しかし今夜、パパはいない。</p>
<p>月曜日はいつもウルトラセブンの話でもちきりになる。明日はタケシ君ともイサム君とも話ができる。みんなウルトラセブンの活躍を熱っぽく語ったが、ほんとうはアンヌ隊員の話をしたいのだった。このごろはタケシ君を中心に輪ができるようになった。タケシ君の家にカラーテレビが入ったからだった。セブンはおそい時間だからおまえたちを呼ぶことはできないが、メキシコオリンピックが始まったら見せてやってもいい、とタケシ君はじまん気に言った。まるで子分にされているみたいでいやだったけれども、カラーテレビのある家の子はえらいという事実はみとめないわけにはいかなかった。</p>
<p>待ちに待った夜７時、テレビはとっくに６チャンネルに合わせてある。武田製薬のＣＭが終わった。「セブン！セブン！セブン！」というイントロを聞くとトオルはもう胸の高まりをおさえることができなかった。カラーだったらどんなにすごいだろう。トオルはやっぱりタケシ君と仲良くしようと思った。と、そのときであった。</p>
<p>玄関の呼び鈴が鳴った。ママが戸を開けにいった。仕事が早く終わったというパパの声が聞こえた。トオルは目の前が真っ暗になった。パパは居間に入ってくると、テレビの前にすわっているトオルには目もくれず、チャンネルをＮＨＫに回した。そうしてふすまを開けてとなりの部屋に着がえに行った。ニュースは今日もベトナム戦争だった。つまんないな。だまってテレビを見るパパをトオルはうらめしそうに見た。</p>
<p>ニュースが終わるとパパは横になって寝てしまった。パパの寝顔を見ながらトオルはパパなんかどこかに行ってしまえ！と思った。チャンネルを６に回してみたがもちろんウルトラセブンは終わっていた。ブラウン管にうつっているのはおばけのＱ太郎だった。ＣＭになるとペコちゃんが不二家のパラソルチョコレートの宣伝を流していた。</p>
<p>この世にペコちゃんほどおそろしい子供はいない。トオルはそう思っていた。駅の近くの不二家のお店にもペコちゃん人形があったが、トオルはなるべく近づかないようにした。ペコちゃんは子供のくせにまゆ毛をそっていたし、風もないのにいつも頭がふらふらゆれていた。（つづく）</p>
<hr />
<p><span style="font-size: 20px; color: #ff3300;">「英語」</span><br />
<span style="color: #993366; font-size: 20px;">中谷（算数・数学科）</span><br />
<br />
中学生のとき、私は英語の塾に通っていた。そこは今から考えても相当ハードで、当時の私には泣きたくなるほどきつかった。問題集を４～５冊ほどつかい、そこから山のように宿題がでた。量だけならなんとかこなせたが、私を一番悩ませたのが暗記の宿題だった。中でもつらかったのは、教科書の丸暗記だった。テストは、白紙に何も見ないで教科書と同じ文章を、和訳をそえて書け、という形式だった。</p>
<p>小学生時代、英語を全然勉強していなくて、塾に入る前も、｢ローマ字さえ書ければいいですよ。｣といわれ、安心していたが、すぐに入塾したことを後悔した。覚えるまで書けといわれたが、最初は１０回書いても覚えられなかった。正直、こんなことをして本当に意味があるのだろうか、と思った。だが学校のテストのときには、自分でも驚くほど、すらすらと答えが頭の中に浮かんできた。</p>
<p>２年、３年と学年が進むにつれ、だんだんと楽に覚えられるようになってきたが、それでも他教科の勉強ができないほどきついのには変わりなく、得点が一番取れるのは英語だったが、一番嫌いな教科も英語だった。みなさんも学校の英語のテストで思ったほど得点が取れないなと感じたら、教科書の丸暗記を試してみて下さい。</p>
<hr />
<br />
<span style="font-size: 20px; color: #ff3300;">「いじめられっ子、柔道に出会う」</span></p>
<p><span style="color: #993366; font-size: 20px;">佐藤（英語科）</span></p>
<p>「また、あいつらだ。」胸がドキドキした。</p>
<p>北の国が一番寒くなる２月のある日の放課後のことだ。少し遠くに見える４、５人の連中が僕を待ち伏せしているのは明らかだった。月に一度か二度少し離れた町からやって来る、ひとつかふたつ年上の体の大きい連中だった。<br />
「いやだな」<br />
背中に冷たい水をかけられたような感覚が僕を包んでいた。今度は何をされるんだ？</p>
<p>小学校３年の僕はやせっぽちの弱虫だった。学校でもいじめっ子にやられっぱなしだった。やられても、やり返せない弱虫だった。６歳の頃に大きな病気をした僕は保育園にも行けず小学校に入った時はほとんど友だちもいなかった。もちろん字も書けず、計算もできない、今の子供たちからは考えられないような、間の抜けた小学生だったのである。そんな僕はまわりの腕白たちから見ればいじめる格好の標的だった。</p>
<p>隣町の上級生がそんな僕の噂を伝え聞いたとは思えないが、だれから見ても「いじめてください」という看板を背中にはりつけて歩いているように見えたのだろう。</p>
<p>「よぉ。一人でどこ行くんだよぉ？あぁ？」</p>
<p>一番体の小さい、けど一番くせの悪そうな奴が言った。手には安全ピンを持って針の部分を僕に向けている。<br />
「いっしょに遊ぼうぜ。」<br />
そう言いながら僕のアノラックの上に安全ピンをチクチク刺してくる。アノラックには綿がいっぱい詰まっているから安全ピンの針は肌までとどきはしない。それをわかった上でそんなことをするいやな奴だった。</p>
<p>僕はこわかった。びびっていた。当たり前だ。学校では一対一でもやられる僕が、五人の、それも体の大きな上級生の連中にからまれているのだ。泣きたくなった。でも、僕は逃げることもできずに黙っていた。<br />
「ふん。おもしろくねぇな。そら、行けよ。」<br />
そいつが言った。まわりにいる連中もニタニタ笑いながら僕を見ている。僕は少し早足でその場から立ち去ろうとした。ちょうどそのときだ。<br />
「おい！」<br />
僕は振り向いた。その瞬間、顔に何かが思い切り当たった。連中の中で一番体の大きな奴が投げたザラザラした雪玉だった。鼻に当たった痛さといじめられたという怖さのため僕は思いきり泣いてしまった。泣きながら走って家に帰った。いじめっ子のいじめになすすべもなくやられてしまう自分が情けなかった。</p>
<p>数日後学校でチラシが配られた。春から町の道場で柔道教室が始まるお知らせだった。僕は家に帰り、母に柔道を習ってもいいかたずねた。母は二つ返事で「いいわよ。習ってみたら」と言った。僕が生まれて初めて自分から何かを習いたいと言い出したからだ。</p>
<p>柔道教室の先生には接骨院を生業にしているおっさんを中心に町の豪傑がたくさん来ていた。接骨院のおっさんは大のお酒好きで稽古をつけてもらうとお酒のにおいがぷんぷんして僕らを辟易させたけど、柔道は強かった。昔から喧嘩がめっぽう強く、へっぽこ小学生の僕らをびしびし鍛えてくれた。</p>
<p>先生の中で一番えらい人は高校の校長をしている人だった。彼は先生達の中でただ一人黒帯ではなく紅白帯をつけた柔道六段の強者だった。なぜかはわからないけどその先生は僕を特にかわいがってくれた。先生との稽古は投げられっぱなしで畳に投げつけられるととても痛かったけど、どんどん自分が強くなっていくような気がした。先生は僕に技のはいるタイミングをとことん教えてくれた。タイミングがドンピシャ合うと柔道は体が小さくても大きな相手を投げ飛ばせることを教えてくれた。そして百回投げられる中で一回は投げさせてくれた。技が決まると僕はうれしかった。</p>
<p>そして柔道を習い始めてから僕の性格が大きく変わっていった。何にでも積極的に取り組めるようになり、クラスでも「ねぇ、君ってあんがいおもしろかったんだね」と言われるくらいお笑い系の男の子になっていったのである。わざわざ上級生の女の子たちが僕のギャグを聞きに教室まで出向いてきたほどだった。（そのギャグは今ではおもしろくないのであえてここには書かない）</p>
<p>もちろんいじめられることもなくなっていった。だって休み時間に体育館で相撲ごっこをやる時僕ら柔道少年団の連中はめっぽう強かったからだ。低学年の時僕をいつもいじめていた連中も、僕に一戦を挑みことごとく投げ飛ばされてしまったからメンツ丸つぶれだった。柔道様々！柔道グレイト！である。</p>
<p>そんな僕らは中学に入り柔道部を作った。顧問は担任の先生にお願いした。当時はアントニオ猪木がプロレス界のスーパースターで、僕らは新日本プロレスに熱狂していたから柔道部の練習は半分プロレスごっこだった。野球部や女子バレーの連中は僕らのことをゾウキン部と呼び、嫌っていたけど、僕らは彼らが成し遂げられなかった全道（北海道だから全道ね）大会出場を中学３年の時に果たしたのだ。ゾウキン柔道部グレイト！柔道少年団に栄光あれ！である。</p>
<p>亡くなる前まで、母がよく言っていた。「他人に何かを教えてもらうのが嫌いだったあんたが一番長続きしたのは柔道だったね。よかったね、柔道習ってて」</p>
<p>そうだな、と今でも思う。あのとき柔道に出会っていなければ僕は今でも弱虫のまま背中を丸めて道をトボトボ歩いていたかもしれないのだから。</p>
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		<title>私が子供だった頃…その１</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Feb 2010 12:05:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>にっきょう</dc:creator>
				<category><![CDATA[教室]]></category>
		<category><![CDATA[武蔵関]]></category>
		<category><![CDATA[武蔵関教室]]></category>
		<category><![CDATA[私が子供だった頃]]></category>

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		<description><![CDATA[武蔵関教室では定期的に教室内報を作成しています。数年前から各教師が持ち回りで「私が子供だった頃」というタイトルでエッセイ（作文）を書き掲載していました。 このページではその一部をにっきょうのＨＰでも掲示し皆様にも読んでい [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>武蔵関教室では定期的に教室内報を作成しています。数年前から各教師が持ち回りで「私が子供だった頃」というタイトルでエッセイ（作文）を書き掲載していました。</p>
<p>このページではその一部をにっきょうのＨＰでも掲示し皆様にも読んでいただこうと思いました。拙い文章ではありますが、それぞれの教師にも少年時代があり、それぞれの想い出があるわけです。塾生にもそんな教師の一面を少しだけでもわかってもらえるとうれしいなと思い、書き綴ってもらいました。</p>
<hr /><span style="color: #006600; font-size: 20px;">豊田（教室長）</span><br />
<span style="font-size: 20px;"><span style="color: #ff0066;">あの日、あの時・・・</span></span></p>
<p>瀬戸内の穏やかな海に面した地方都市で他の多くの先生方と同じように昭和そのものの少年時代を過ごした私が経験したあの日、あの時とは。</p>
<p>貧乏という言葉が普通に使われ、戦争で足を切断した<a title="傷痍軍人" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B7%E7%97%8D%E8%BB%8D%E4%BA%BA" target="_blank">傷痍軍人</a>らしき人が物乞いをする光景に接していたわけなので、同じ昭和でも「<a title="三丁目の夕日" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%81%E7%9B%AE%E3%81%AE%E5%A4%95%E6%97%A5" target="_blank">三丁目のタ日</a>」にかなり近い時代でした。漫画とテレビで育った世代でもあります。当時の大人が浸画を有害だとみなす風潮は、今の大人がゲームを敵視する以上のものがありましたが、今やマンガもゲームも日本を代表する文化となっていることを思うと感無量です。</p>
<p>それはさておき、我々の世代が今の子供たちより幸福だったのは間違いないでしょう。確かに物質的にはまだまだ貧しく、トヨタ自動車のデザインもとてもダサくて、アメリカの消費生活が憧れの的であった時代ではありましたが、将来のことをなんにも思い煩う必要がなかったことが今との一番の差でしょうね。インターネットもテレビの衛星中継もない情報量の少なさのおかげで、大人たちが<a title="キューバ危機" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90%E5%8D%B1%E6%A9%9F" target="_blank">キューバ危機</a>に世界の破滅を感じていたなどということも知らずにすみました。</p>
<p>スポーツも勉強も出来て先生方の覚えめでたさ優秀な姉と、10代の宇多田ひかるのような口髭を生やした生意気な妹に囲まれ、男一人、爺さん、婆さんにも可愛がられてすくすくと育ちました。確かに、あの日、あの時までは。</p>
<p>小学校の3年になったばかりでしょうか、父親の勤めていた会社の社宅には幼児から大学生まで多くの子供たちがいました。その中の誰かに誘われて社宅の隣にある警察遺場で行われていた剣達の練習に通うようになりました。私以外はみんな年上で、中学生、高校生のお兄ちゃん達と楽しく通っていました。そのうち、練習帰りにお好み焼きやによっていくのが習わしとなり、50円だか100円だかのお金が必要になってきました。何十年も前の記憶なのではっきりしませんが、最初はおごってもらっていたのだと思います。当時お小遣いというのはもらってなかったか、もらっていてもごくわずかだったので、自然とあくまで自然とそんなに罪悪感もなくタンスの中の母親の財布に手が伸びていました。それが何回続いたかも思い出せませんが、剣壇を始めて一年ぐらいたったときでした。ある日いつものように学校から帰ると母親が鬼のような形相で待ち構えていました。金を取ったことを確認するやいなや有無を言わさず私の腕をひっつかんで外に連れ出し、警察に連れて行くというのです。あまりのなりゆきに気が動転し、ピーピー泣きわめき、「もうしません。もうしません。」と訴えたのですが、母親はなにも答えずものすごいカで引っ張っていきました。</p>
<p>警察署まで来ると、さすがに観念してしくしく涙を流していると、中からとても優しそうなオジサンが出てきました。泣いている私の肩に手をまわし、諭すようにやさしく　しゃべってくれたことを思い出します。そのあと、母親と何を話したか、どのように家に帰り着いたか全く記憶にありません。ただ、あの日、あの時、なにも思い煩うことのない幸福な少年時代と確かに決別したのだと感じました。</p>
<p>ぼんやりとではありますが、人生にはいろいろあることを学び、私にとって忘れられない大人への一歩を踏み出した出来事でした。おそらく、同世代の友人たちの中では比較的恵まれた小学生時代を送ったY少年は中学で大きな転機を迎え、最低、最悪の高校時代へ突入しますが、その顛末はまた次回に…。</p>
<hr /><span style="color: #006600; font-size: 20px;">中田（国語科）</span><br />
<span style="font-size: 20px;"><span style="color: #ff0066;">私が小学生の頃</span></span><br />
小学生のころは学校から帰るとすぐに遊びに行き、かくれんぼやどろけい(ドロボウとけいさつ）などをして遊んでいた。季節により遊びはいろいろあったが、その中でもソフトボールやサッカーは独自のルールを作り、日が暮れるまでやっていたな。だから小学校５年生になると学校 対抗ソフトボール大会に参加できるってのが楽しみでしょうがなかった。</p>
<p>背はクラスで前から３番目で体はほとんどの人に勝てなかったが、 ソフトボールは小さいころから得意だった。父親は社会人野球のピッチャー。６つ年上の長男は漫画「巨人の星」にみせられて中学では野球部のピッチャー兼セ ンター。典型的な野球一家だった。年のはなれた自分は兄と父がキャッチボールをするのについていき、それをながめながら時々シャドウピッチングをしながら 「明、やるかっ!」って言葉を待ち遠しく思っていた。投げ方についての指導は時には暗くなるまで続き、教わった投げ方のコツは翌日学校に行ってからも思い 返してはシャドウピッチングしていた。</p>
<p>そんな野球漬けの小学生だったが、球技は何でも好きで、家にはグローブとバットだけでなく、サッカーボールや拾ってきたバレーボールもバドミントンセットも卓球セットもあった。それでも野球とソフトボールは一番よくやった。廃校になった小学校の狭いグラウンドでのホームランは、垣根をこえてボールが人家の庭(よくほえる大きな犬がいたんだよな）かお茶畑(ここに入るとなかなか見つからない！）に入ってしまうことだった。ホームランを打った最高の気 分とその後の大人に見つからないようにボールを探しに行くスリルは今でも目に浮かぶ光景だ。</p>
<p>住んでいたのは学習塾なんてあるわけない静岡の山の中。同じ集落に同級生の男子は３人だけ（しかも苗字は３人とも長嶋。笑）。だから学年の枠なんかな く、上下３年くらいの幅でいつも遊んでいた。そうでなければサッカーもソフトもできないわけだしね。おかげで体格のいい上級生とも対等に戦える技術はどん どん身に付き、５年生になれたときは自信を持ってソフトボール大会に出られるぞと、期待していた。</p>
<p>ところが……、その年から大会はソフトボールからサッカーに変わってしまったのだ。なんなんだ～これは～とショックを受けた。ふてくされるくらいにショックを受けた。不良になってしまおうかしらんと思うほどのショックだった！</p>
<p>他に何の楽しみもなかった自分の小学校生活はこれで終わったとさえ思った。</p>
<p>でもね、本当の楽しみとサッカーの面白さを知ったのはこの後からだった。大活躍もたくさんあったんだよ。わかる人はわかるように、静岡だからね、まずサッカーありきなんだよ。でもこの辺でおしまいにしないとあと３倍は書かなくてはいけなくなるから…。では……ん？　勉強はって？　勉強は少しはしていたのかもしれないけど、思い出せないな。確か体育と音楽と、あとは算数が得意だったと思う。国語？　まったく思い出せません。まあいいじゃないですか。</p>
<p>では、失礼します。</p>
<hr /><span style="color: #006600; font-size: 20px;">白井（算数・数学科）</span><br />
<span style="font-size: 20px;"><span style="color: #ff0066;">ある夏の記憶</span></span></p>
<p>あれはどういう星のめぐり合わせだったのだろう。本の虫でもない僕が、中学一年から三年まで図書委員だった。</p>
<p>学校の図書室の運営や読書をひろめる運動に、生徒らが自主的にかかわっていくという図書委員会で、各学年から十名ほどの男女がえらばれ、委員になるのだった。</p>
<p>新刊が入荷されると、紹介する記事を書かされたりしたが、僕はたまに書き、適当にさぼった。ある時は、本の整理をするフリをして、書架と書架のあいだの、紙の匂いの立ち込める通路をゆっくりめぐりながら、世界中にはこの図書室の何千倍、何万倍もの書物があって、それを書いた作家がいるのだということを、ぼんやり思っていた。</p>
<p>台風が接近している、ある夏の午後。</p>
<p>本の整理をしながら、窓に近い書架へ回り込むと、女の子が立っていた。知らない子だった。知的なひたいと銀縁のめがねが印象的な、小柄な女生徒で、一冊の本をひらき、小さな声で音読している。その声は、窓から吹きつける夏の風といっしょに、僕の耳にふわっと届いた。</p>
<p><span style="color: #000000;">「それ、どんな本ですか？」思わず、僕は訊いていた。</span></p>
<p>「奇巌城よ。怪盗<a title="アルセーヌ・ルパン" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3" target="_blank">アルセーヌ・ルパン</a>全集の。もう、読んだ？」</p>
<p>首を横にふる僕に、彼女はほほ笑み、この本はぜったい読むべきよ、と言った。友だちに秘密にしている宝物をそっと僕にだけ教えてくれるみたいに、本の表紙を見せてくれた。</p>
<p>その夜、家の屋根をこれでもかと叩きつける激しい雨音をききながら、『奇巌城』を読みはじめた。やがて、この世のあらゆる音が遠ざかるのを感じ、僕は、広大な物語の森へ、連れて行かれた。</p>
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