今回、春の研修において、日本教育学院の職員は短い期間ですが、3つの班に分かれて、宮城県の南三陸町にてボランティア活動を行ってまいりました。
職員は、南三陸町についてはメディアを通じて多少の知識はありましたが、誰も行ったことはないし、東北のどこに位置するのかも不明でした。ボランティア自体も初めてです。
それでも、1000年に1度の大きな出来事が起きた被災地に、自分の足で立つことで自分の五感を通じて感じるものがあるだろうと考えました。
『いろいろな思いを巡らせたり、感想を伝えていきたい。普段とは違う現場で過ごすことで、考え方の違いや新しい発見をして、自分自身にフィードバックできればいい。
また、無償で活動しているボランティアの方々の運営を通じて、物事に対する真摯さも学び、生徒指導に活かしたい。』
様々な思いで、研修に参加しました。
この大震災をきっかけに、短い期間(1~2年)で連続してプレートが動く可能性が指摘されています。震度7とはどんな揺れだったのか、生の声を聞くことで、防災の観点からも、東京においての地震の際、生徒の命を預かっている我々の対応も深く考えねばならないと思わされました。
南三陸町というところは、地元の方々から話をうかがったり、元の南三陸町の写真を見たりすると、海も、山も、川も、とても素敵な所で、ワカメ、カキ、菊人形等の特産品もあり、東北を代表するとても美しいリアス式海岸に囲まれた町でした。
南三陸町には大きな揺れの後、33mの津波が来ました。被災地の中でも最も高い津波です。「防災庁舎からの呼びかけ」が有名になってしまいましたが、3階建ての家の上まで波が来る状況では、家が流されなくても水没してしまうのですから、凄まじさが半端ではありません。今、瓦礫は片付いて海岸から遠く山裾まで何もなく、かえって津波の被害の凄さを見渡すことが出来ます。
「自分一人が行ってもなにができる?」東京では日常の生活の煩雑さで気持ちがいっぱいで、画面で流れるニュースは他人事になっていきます。
「どんどんきてほしい」、そして「感じたことを伝えてほしい」、「忘れないでほしい」。地元の人に何度も言われました。
「そっとしておいて」じゃないかと、勝手に思い込むところもありました。
早くも、いやとっくに動き始めてる地元の人たちの覚悟の気持ちに触れ、まさに<百聞は一見にしかず>です。行かなければわかりませんでした。
今回、どんな理由付けでも、現地に行くことで、自分の言葉で直接感じた思いを伝播していくことは、メディアから流れる情報の受身の伝聞とは、明らかに違うことを強烈に学びました。少しでも係わることが出来た南三陸町に、またいずれ訪れたいと思った職員も多く、皆、何年かかろうと必ず復興してほしいと強く願っています。
伝統の復活やコミュニティを取り戻すことからして大変なのは承知で、勝手に想像をふくらませると、以前より住みやすく、働きやすいしくみや、素晴らしい景観づくり等、この町にいることに誇りがもてるような美しい街づくりをしてほしく、以前の魅力的な南三陸町から考えれば、決して不可能でないと思いました。
素朴で昔からの日本の心を紡いできた地元のみなさんが、笑顔になれるような、豊かな豊かな東北を創生していってほしいと願っています。
次のページでは、参加した教師のボランティアレポートを掲載しております。本当は教師だけの研修会で発表したものなのですが、にっきょうの生徒たち、保護者の皆様方にもご紹介しようということになり、HP上で掲載することになった次第です。