このあと、ホテルに向かいました。バスで10分ほどの距離です。「ホテル観洋」は岬にある立派なホテルです。名前の通り、ロビーはガラス張りで海が一望。各部屋からもよく海が見えます。しかし、津波はこの高台にあるホテルの2階の露天風呂まで襲ってきたそうです。
夕食前には、被災者からお話を聞く機会がありました。年齢を感じさせない建築会社を営んでいる阿倍さんです。50日間の避難所の生活、「悔しさと怖さ」。「今、生かされているが故に、こうした出会い、絆が生まれる。」との言葉が重かったです。
6人部屋ということで、我々4人に加え、ボランティアとしてのリピーターである2人の男性との相部屋でした。一人は東芝からソニーに転職したというやり手の管理職、今一方は証券会社勤務の方でした。どちらも、お話好きでささやかな交流ができました。夜のいびきの重奏には参りましたが・・・・。
南三陸町の名を日本中に知らしめたのは、防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼びかけ続け、津波の犠牲になった町職員遠藤未希さんの件であると思います。
防災対策庁舎は3階建て。その屋上のアンテナや手すりにしがみついて九死に一生を得た方もいる一方、多くの方がその犠牲になりました。ここは、津波被害の象徴的存在として、我々が訪れた時も多くの方がその前で手を合わせ、たくさんの花束が供えられていました。