4月22日(日)
露天風呂より海から昇る朝日を見ました。この南三陸町の人たちも、明るい未来をと願うばかりです。海ではワカメ漁の船が見られました。朝食はバイキング。三陸の幸から今日の活動への活力を戴きます。
8時半にホテルを出発。ボランティアセンターに向かいました。二日目も幸か不幸か、初日と同じ作業となりました。志津川駅前でバス下車。足には安全靴、手には厚手のゴム手袋をつけ、いざ出陣!
一日目に比べると、皆、要領を得て、目に見えて作業の効率が良かったと思います。ボランティアの中には、外国人の方もおり、日本人として本当に有り難いと感じました。土を掘り起こすとヘドロ化したものも出るため、異臭もかなりきつかったです。そんな中、今でも月に2,3体の遺体が土中から見つかるそうです。
昼食は、作業場所近くの志津川駅の近くでとりました。座っているのは、枕木の残骸です。そのあと、時間が少々あったので、それぞれに周辺を散策しました。
駅の周りは、曲がったままのレールが残っていましたが、ほとんどのものは、撤去されていました。ここが駅だったと分かるのは、わずかに残る点字ブロックと階段の部分ぐらいでした。奥に見えるのは志津川病院。屋上に患者や職員が避難、救助されたところです。よく見ると、船が乗り上がっています。
横たわる黒い物体は、何と蒸気機関車。海辺の「松原公園」に展示されていたと思われるC58蒸気機関車です。70トンもあるのに流されてしまう、津波の威力です。
駅の北側の方も、気仙沼線の盛り土をはるかに超えていったことが分かります。
盛り土を崩した津波は、周辺の建物をも流し、3階建てのマンションもすっかり水に浸かってしまい、ご覧の有様です。海からかなり離れているにもかかわらずです。
見るも無惨な町民バスの「いしゃりくん」。駅前に未だに放置されたまま、可哀想でした。右上の写真には「3/19 福岡 検索済」の文字。福岡県の救助隊が捜索・確認したことが記されています。
午後の作業、ラストスパートとしてコンクリートのガレキ撤去。4人力を合わせて頑張りました。予想以上にハードな活動でした。
作業場所の畑の中には、流され壊れたクルーザーや漁船がありました。船腹には、○や×の記号が書かれていました。○は「遺体が見つかったという印」、×は「遺体はなかった」という印だそうです。何ともいたたまれなくなります。帰宅する中高生を見かけましたが、その数はまばら。ほとんどの子どもたちは、スクールバスによる下校。仮設住宅に向かうのでしょう。スクールバスをよく見ると、「越後交通」の文字。各地からの供与の一つかもしれません。
ボランティア作業が終わり、「ホテル観洋」にもどり、ひと風呂、温泉で汗を流しました。そして帰途につきました。18時49分くりこま高原駅発の「やまびこ64号」に乗り、大宮で下車、解散。
本当にお疲れ様でした。