ボランティアを終えての感想
- 実際にこの眼で被災地を見ることができたのがよかった。報道ではピンとこなかった、津波の高さや被害の大きさも実物を見ることによって確かめることができ、実感もできた。現地のボランティアリーダーも繰り返し言っていたが、実際に体験し、見聞したことを多くの人に語ることが大切だと思う。周囲の人々も関心・興味を持って聞いてくれる。数年したら、復興への道のりが簡単なのは当然だが、ぜひまた「ホテル観洋」に宿泊したい。
- 非常にいい体験をさせていただきました。特に自分のような、ボランティアを自分からしようとは思わない人間にとっては、いい体験であり、日常から離れているという意味で新鮮な体験でもありました。日程的なきつさや労働の内容、また教室業務の代行など、いろいろな大変さはありましたが、このボランティアに参加できてよかったと思います。「現地に行ってみなければ分からない」の言葉の通りだと思います。
- 疲れました。重労働だったので。ボランティアそのものについては、センターの管理によりその日の直前まで何の作業になるか分からない。地元の人たちともう少し触れあいがあればよかったと思う。我々の職業癖として、やはり若者を生徒目線で見てしまうところ、互いに先生呼ばわりしているのが他からは奇異に聞こえるだろうことなど。それにしても、仕事として単調でふだん重労働をしなくて済むのは実に幸せなことだとも思いました。
- 新聞やテレビで見た光景がそのまま目の前に広がっていた。しかし、新聞で見るのと、実際に観るのとではあまりにも何もかも違う。かつて、ここに多くの人が暮らし、幸せで楽しい日々を送っていたことが信じられない光景だった。あの日から一年余り、復興はまだまだ先の話になるのではと思った。困っている人がいて、思いのある人が助ける。ボランティアとはいえ、これは仕事の原点でもあろう。「人に喜んでもらえることは素敵なこと」という当たり前のことに気づかされる二日間だった。
その先にあるもの。
その日の夕方、ホテルに着いて、ロビーで流れていたのはポールモーリアとグランドオーケストラの「エーゲ海の真珠」だった。街の中心部で瓦礫の撤去作業をさっきまでやっていた僕にはグランドオーケストラの音はあまりにも平和すぎた。でも、これが人の営みなのだ、とも思った。だれもが震災がなければ、ホテルではポールモーリアが流れ、学校では子供たちの声や笑顔があふれ、台所からはお味お汁の夕べの香りが街のあちこちから流れてきていただろう。でも、現実は「起きてしまった」なのだ。
南三陸町だけで死者・行方不明者あわせて1,206人。全壊3,166棟、瓦礫は少しずつ取り除かれ、更地にする時を伺っているかのようだが、多分地元の人たちは焦っているんだろう。遅々として進まない復興計画に。怒っているのだろう。無責任な政府や官僚の対応に。これからどう生きていったらいいのか、自分たちが生まれ育ったこの街がどうなるのか。軽々しく「がんばろう東北」とは僕には言えない。
小金山先生が報告していた「マンパワー」これに尽きると思う。お金をもらったからからといっていい街はできないだろう。そこに必要なのは街をデザインする力、デザインを形にする力。子供たちを教育する力。お年寄りにさりげなく寄り添う力。大きな犠牲を払いはしたが、そこから得た教訓を生かし先へ進んでいく力。そんな小さな積み重ねが、さらに成熟し魅力ある東北の姿となってくれることを切に願っている。帰京する日の午後ホテルでは結婚式が開かれていた。確かにそこには先へ進む決意を胸に秘めた新郎新婦が幸せそうに接吻をしていた。(桜台教室佐藤)