2018合格作文・保護者感想文

「どんな魔法をかけてくださったのでしょうか?」

たまたま入塾させて頂いた、この日本教育学院さんが、我が子に合っていたというキセキに感謝です。
中2の春に「英語、ついていけない、塾入りたい!」と自分から言い出しました。学校の英語の授業についていけるようになるといいな…と思い通い始め、いつの間にか少しずつクラスが上がり、気付くと学校の成績も上がっていました。塾が合わなくて辞めたくなったら辞めればいい。と思っていたのに、息子は「塾は休みたくない」と言い、部活があっても塾も行きました。
「にっきょう」の先生方は、一体我が子にどんな魔法をかけてくださったのでしょうか?
塾の様子は、本人からは話さないので、面談で先生からお聞きしました。本人には、困った頃がないならいいか…としつこく話は聞きませんでした。要らない口出しはせず、先生方にお任せする!これが良かったのかもしれません。
親として気をつけていたことは、勉強しろと言わないこと、追い詰めないこと、友達と比べないことです。
我が子が元気に学校へ通え、元気に「にっきょう」へ通え、いじめもなく、気分よく勉学に励めることに、感謝する気持ちを忘れないようにしました。
一人一人の性格の違う子どもたちを、それぞれやる気を出させて下さる「にっきょう」の先生方は本当にすごいです。「にっきょう」でよかったです。ありがとうございました。
高校入試の保護者

「たくさんの友、師、そして家族とともにがんばってきた。最後は一人で」

たった一年足らずだが、(にっきょう)に入って本気で勉強して本当に良かったと思う。
受験が近づくのを感じ、私はとても不安だった。中々伸びない模試に悩まされ、「もっと早くから勉強していればよかった」といつも思わされた。だけど、それは皆同じだった。「受験は団体戦」今まで思いもしなかったけど、夏のつらい合宿や正月特訓を通して、クラスの仲間との絆を強く感じた。また先輩たちから受け継がれてきたデータ、過去問を通して自分の点数が少しずつ伸びていくのを感じるのは本当に達成感があった。
本番の前日、塾から電報が送られてきて、先生たちからのメッセージが綴られていた。そこに「たくさんの友、師、そして家族とともにがんばってきた。最後は一人で」というのがあった。今まで仲間とやってきたから一人で戦うのが怖かった私に、勇気をくれたのがこの言葉だった。この時、改めて自分はこの一年たくさんの人に支えられてきたのだと思った。その支えがあったからこそ、私は第一志望に合格することができた。
短い期間だったけどこの一年で自分自身大きな成長を感じ、とても嬉しく思う。こんなにも熱中し本気になったのは初めてだった。自分や、先生を信じてここまで努力を積んできて本当に良かった。そして私の目指していた日本大学第二高等学校に合格し、これから高校三年間をこの学校で送れることに誇りを持とうと思う。
高校入試 生徒

「最後の最後まで諦めることなく挑戦し続けた」

2年間、たいへんお世話になりました。第一志望校に合格できたのも、最後の最後まで、ご指導いただきました先生方のおかげだと思っております。
娘が中学受験をしようと思ったきっかけは、学校のお友達が中学受験の塾に行き始めて自分も頑張ってみたいという単純なものでした。色々と塾は見学しましたが、知り合いの方のお子さんが日教に通っていて「すごく面倒見が良い」との薦めで入塾しました。はじめは5年生からの遅いスタートと、算数が苦手だったので授業についていけるか心配していましたが、4年生の復習をしてくださってとても親切な指導だと感激したのを覚えています。また理科の授業では、外に出て草花の授業をしてくださったり、6年生の後半に入ってからは塾の授業がない日も算数の補習をしてくださったり、国語・社会では再テストの多い娘に合格点になるまでご指導いただきました。
合格するまでは順調に成績が伸びたわけではなく、YT組み分けテストではB→C→B→Cと行ったり来たり、6年生になり合否判定テストで偏差値が算数の成績で上がったり下がったり、何度もくじけそうになりました。それでも何とか頑張ってこれたのも、クラスのお友達の存在も大きかったと思います。お友達の良い所を認めて切磋琢磨し合える素敵なお友達と巡り合えたことに感謝しております。
今回の合格は、最後の最後まで諦めることなく挑戦し続けたからこそできたものだと思います。受験本番のテスト中でも偏差値は伸びているのだと実感しております。夏の合宿で、最終日にシールを頂けたことなど、色々な事が自信に繋がって「力」が出たのだと、本当に日教に通って勉強できて、心まで成長させていただけて、良かったと思います。本当にありがとうございました。
中学入試の御父母

「みんなと頑張れてよかった。」

今一番思うことは、「大変だったなあ、ほっとしたぁ。」ということである。
受験は、とても大変だった。勉強は辛くて、頑張ってもむくわれず、とにかく大変で、あきらめかけたこともあった。でも、自分には夢がある。絵描きになりたい、という夢だ。その夢を実現させるには、どうすればいいか考えた。隣に住むお兄ちゃんカケル君は、野球選手という夢がある。野球選手になるには、野球の強い学校にいかなければならない。その学校に行くには、勉強もたくさんしなければならない。だから、お兄ちゃんは、ものすごく勉強に励んでいて優秀だった。きっとお兄ちゃんは夢を実現するだろう。
つまりどういうことか。夢の実現のためには、まずは勉強が必要だということである。ぼくの場合は、絵描きになりたいのだから美大に進まなくてはならない。美大に行くには絵だけ上手くても行けない。やはり勉強が必要なのだ。好きな絵のためにぼくは勉強する。苦しくても受験勉強を頑張った。そして第一志望に合格した。この受験でぼくは、努力とあきらめないことを学んだ。そして、受験はぼくにとって必要だということも学んだ。受験がなければ今頃ぼくは、勉強せず、ただのバカになっていたかもしれない。
これからの6年間、夢である絵描きになるために、たくさん学んでいこうと思う。
本当に嬉しい。このぼくをただのバカにしておかずに助けてくれた先生方や両親に感謝している。この受験でぼくは、もう1つのことを学んだ。感謝する、ということである。ぼくは一人では何もできない。たくさん助けてもらった。
塾の仲間にも助けてもらった。みんなとは、共に歩んできた。卒業するのは嬉しいが、みんなと離れ離れになるのは悲しい。弁当を一緒に食べたり、笑ったり、怒られたり、競い合ったり長い時間過ごしてきた同士である。また、みんな自分の夢を実現しているだろう。どしてそう思うかというと、今まで、あれだけ努力をすることが出来たのだから、これからもなんだってできるはずだと思うし、負けてはいけないと思う。
ぼくはみんなに、ありがとうと言いたい。きっと、ぼくが一人だったら頑張り通せなかったと思うから。みんなと頑張れてよかった。
小学校6年生 武蔵関教室 K.Y.くん 2018.2

小学校6年生 武蔵関教室 K.Y.くんのお母さん 2018.2

「母さん、受験を薦めてくれてありがとう。」家族でのお疲れさん会の帰り道、今まで我慢していたプラモデルを抱えた息子がいう。今日までの道のりは、容易ではない日々の連続であり、それでもそれは、かけがえがなく、親子の宝となった。これもひとえに先生方のお蔭。我息子に勉強させるということは、優秀この上ない教育者にのみ実現可能な大事業であり、それは決して過言ではなく、一筋縄ではいかないことなのだ。息子は本当に心は素晴らしい子だ。かと言って算数は、いけない。解けない。十編やそこらで分かるは御の字で、百篇言っても分からない。親の心情たるや、これ日々、憤懣やるかたない修行、ひたすらの試練なのだ。それでも何度か同じ問題を解き、よし出来た、と思う時もある。ところが翌日には、きれいさっぱり忘れている。この忘却の有様に、我弱弱しく打ちひしがれて意識消失さながらになる。親たるやこれではいかん、と気を取り治そうと深呼吸すると今度は、ムラムラと怒りたくなる。そして怒る。すると私の心の深くから、いつぞやの保護者会での塾長の声がする「怒らないでください。怒って成績が上がるならそれは、簡単です。」と。分かっちゃいるのに腹立たしい。またか、と責めたくなる。「そんなんだったらやめる?受験なんかやめる?受験なんかやめちまえ!」けたたましい母とは裏腹に、先生方は神の様。懐深く息子を大事にしてくださった。授業のない日も遅くまで、何度も通わせ、何度も教えて下さった。勉強だけではない。彼の性格もよく理解し息子をよく見て育てて下さった。塾に行く途中で雨に降らされ、共働きで親不在の家に引き返しては、洗濯物を取り込んで遅刻した息子を認めて、叱らないで下さった。塾の柿が熟したと、ねだる息子に柿をもいで下さった。息子は、先生方が大好きだ。
受験を機に親子で勉強の理由を考えた。それは2つ。1つは愛をもって生きるため。愛は知識を伴わねばならない。ある両手を失った男の話だか、印刷所の輪転機に片手を巻き込まれ、瞬間母が押したのは停止、でなく「加速ボタン」だった。急速に巻き込まれた男の両手は義手になった。母親はとにかく機械を止めたくてよく分からないボタンを押した。愛はあった。知識が伴わなかった。青い顔で話を聞き「僕は、絶対にボタンを間違える自信がある。」と息子は言う。自分に何が出来て、何が出来ないか知るのも知識。愛情という情熱が知識を伴わず裏目に出ることがある。手前味噌を承知で言う。君の母親が最高の塾を選んだ事も、知識のなせる業でなかったか。優しい君に知識があれば鬼に金棒と伝えた。勉強理由のもう1つは、自分らしく生きるため。彼の夢は絵描き。目指す道筋に辿ると美大か。千里の道の一歩は、今目の前にある分数の掛け算。さて!と励ます折の4年のある日、帰るなり玄関に立ったまま、ただいまでもなく顔を見るなり泣き出した。火が付くような泣きっぷり。幼子のようで懐かしい。とは言え訳を聞いたなら「ビリでバカ。頭わりぃ。」と言われたと。なるほど、そうきたか。「子ども時代ってのはね、成績のいい子は頭がいい、って言われるけど、絵の上手い子は絵が上手いとしか言われないんだよ。でもどっちも「頭」が指令しているんだよ。君は絵が上手いってことは頭が良いんだよ。成績が悪いだけだよ。成績が良い子は医者になり折れた足を治すけど、絵が上手い子は画家になり折れた心を癒すんだよ。人は与えられた才能で生きる。だから人との比較は無意味だよ。さて!次の漢字の書き取りを、、、。」受験は愛これに免じてどうか、幸せになって欲しい。一緒に頑張れた日々よありがとう。
ポンコツ親子を全力で支えてくださった先生方に感謝。足を向けて眠れない。心から、ありがとうございました。受験生活、万歳。ヨウガ、バンザイ。
2018年2月 武蔵関教室 小6 K.Y. 保護者

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